ESSAY

もし村上春樹が美容師だったら

ESSAY | 2017.08.22

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この話は8月4日の14時24分に始まり、8月4日の16時02分に終わる。

 その日は、夏の日差しが強い、土曜日の昼下がりで、髪をバッサリ切るにはうってつけの日だった。そんなとき、見覚えのない女の子がふらりと店の中に入ってきた。格子模様のワンピースに、肩まで伸びたストレートの髪、顔はどちらかというと凡庸だったが、一度見ると忘れられない個性を放っていた。そして躊躇なく、僕を指名した。まるで、何ヶ月も前から僕に髪を切られるのを待っていたかのように。着席すると、その女の子はこういった。
「バッサリ切って。羊の毛を刈るときのようにね」
僕はどう答えていいかわからなかった。少し間を開けて、こう言った。
「僕はそれに対して何もいうつもりもないし、言う権利もない。猫がまたたびとじゃれ合うくらい自然なことだ。僕は淡々と君の髪を切るだろう。羊の毛を刈るように・・・・・・・・・。だが、羊たちは好き好んで毛を刈られているわけじゃないと僕は思うんだ。今のあなたも、もしかしたら、そう思っているかもしれない。僕が気になるのはそこだ。もちろん、美容師として、深入りしすぎているのはわかっている」
すると彼女は、
「今ここで羊たちのようにバッサリいかないと二度とそんな髪型にしないような気がするの。だって、この先、羊の毛を刈るときのようにバッサリ切ってなんてオーダー、あなたに言う人って現れると思う?」
「それはわからない。でも、キリンのようにロングでといった注文も、カバみたいにパーマをかけてといった注文も、たぶんこの先ないだろう。だから、なぜ羊だけが問題になるのか、正直僕にはわからない」
「羊だからよ」
僕は、もうどうでもよくなっていた。早くすませよう。そう思って髪のほうに視線を移動した。そしてふと彼女の襟足が目に入った。それは100%の襟足だった。何が100%かはうまく言うことができない。他人から見れば、それはひどく平凡なものかもしれない。でも、少なくとも僕にとっては、100%だった。僕は、その襟足に、ハサミを入れることはできなかった。

その女の子はあっさりと帰ってしまった。僕はしばらくその女の子がもう一度来るのではないかと待った。しかし、ある日は台風でそれどころではなく、ある日は道がぬかるんでいた。ある日は僕が休みをとり、ある日は銀座線が止まっていた。そしてもう二度とお店に来ることはなかった。いったいあの100%の襟足を持つ女の子はなんだったんだろう。土曜日の午後、僕を訪ねてお店まで来たあの女の子は。今でもFMラジオから流れるビーチボーイズの『GOD ONLY KNOWS』を聴くと、僕はあの100%の襟足の女の子のことを思い出す。羊の毛を刈るようにバッサリ髪の毛を切ったあの女の子のことを。僕はおもむろにラジオに手を伸ばした。パチン……OFF。

神田桂一 ライター/編集者

『POPEYE』『ケトル』『スペクテイター』『クイックジャパン』などカルチャー誌を中心に活動中。趣味は旅行。好きな地域は、中東と台湾。

さのゆりこ おじさんウォッチャー/イラストレーター

1988年生まれ。おじさんをメインに、人物モチーフのイラストを制作しています。オーダー似顔絵、挿絵、展示など。インスタグラムでは有名人の似顔絵を中心に公開中。

CREDITS
文:神田桂一
イラスト:さのゆりこ
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