SALON MODEL

自分を受け入れてもらうためには、相手を受け入れることが先。 女性だったサロンモデルが大切にしていること

サロンモデル、通称サロモ。美容師と作品づくりをするパートナーとして必要不可欠な存在だ。多くのサロモが所属する『Coupe』には、経歴、職種、十人十色の人生観をもったサロモたちがいる。

今回紹介するのは、広尾のレストランで働きながらサロンモデルをしている平田優美さん(26)。週に6日間レストランで働きながら、月に10件ほどの撮影をこなし、休日は恋人とのデートを楽しんでいる。ヒゲとピアスが印象的な、ワイルドなメンズサロンモデルだ。

さて、単刀直入に言うと、実は平田さん、“元女性”のサロンモデルである。

「もちろんアンチの人はいますし、誤解されることを嫌がる当事者の方もたくさんいます。“いや、結局女じゃん”って言われたこともありました。でも、それもひとつの考えだと思うんです。そういうふうに見えるならそう思ってもらって大丈夫。相手から見える性別で僕のことを見てもらえばいい」

性同一性障害、あるいはトランスジェンダーという言葉を聞いたことがある人は多いだろう。では、“FtM”はどうだろうか? FtMとは“Female-to-Male”の略で、生物学的性別が女性であり、性の自己認識が男性である人のことをいう。いわゆるセクシャルマイノリティのひとつだ。

平田さんが自分の性に気付いたのは、高校生の頃。テレビドラマを観て、トランスジェンダーの存在を知った。

「家族が録画していた『ラストフレンズ』(’08)をたまたま観ました。上野樹里さん演じる岸本瑠可という人物が、性同一性障害だったんです。なんというか、自分にしっくりきました。“ああ、これか”と」

トランスジェンダーという概念があることを知り、それまで抱えていたモヤモヤが晴れた。そこから先は早かった。平田さんはまず、母親にそのことを伝えた。

「母の最初の反応は“やっぱりね”でした。父も“そうだと思ったよ”と言ってくれました。まったく否定することなくすぐに受け入れてくれましたね。伝える時に多少の勇気は必要でしたけど、きっと理解してくれるだろうという確信があったから、恐怖はあまりなかったと思います。“なんであれ自分の子どもなんだから”という考えが両親にはあったと思うし。おばあちゃんも、ヒゲを生やしているぼくを見て“自分らしくていいね”って言ってくれるんです」

両親や祖母と同じように、兄弟も平田さんのことを受け入れた。

「弟が2人いるんですけど、当時は7歳と4歳でした。そのくらいの歳だと、まったく理解が追いつかないと思います。それでも自分なりに解釈してくれたみたいで、それまで“お姉ちゃん”って呼んでいたのが、自分から“お兄ちゃん”って呼んでくれるようになりました。友だちに僕の話をする時も“兄貴は~”って言っているらしいです。まったく隠さずオープンにしてくれていることが、すごくうれしい。サロモの活動も応援してくれています」

平田さんは、差別のようなことをされたことがないという。家族以外の人々も自分を受け入れてくれる。たとえば、現在の恋人がそうだ。平田さんは現在、2歳下の女性と交際している。

「彼女のまわりにそういう人はいなかったみたいなので、打ち明けた時はびっくりしてました。“全然そんなのわからなかった”と。でも、だからといってどうということはありませんでした。恋人になって約半年。今、すごく幸せです。誰かと付き合うなら、自分のことをちゃんと話さなくてはいけないですよね。その時に受け入れられないこともあるかもしれない。そう考えるとFtMの恋愛は、もしかしたらすこし大変なのかもしれない。相手に恋していることを告白する以前に、もうひとつ告白をしなければいけないから」

その場合、どっちの告白がより緊張するのだろう?

「……僕は、“好き”って告白する方が緊張します(笑)」

作品は、美容師とサロモとの共作

平田さんがサロモをはじめたのは、美容師の友だちからモデルを頼まれたことがきっかけだった。昔から、モデルをやってみたい気持ちがあった。しかし身長が足りないゆえに諦めていたという。だが、サロンモデルに身長は必要ない。初めてのサロモ体験で、そのことに気付いてしまった。ここなら自分を表現できるかもしれない。そう思うと、サロモの仕事がどんどん楽しくなっていった。

美容師からの平田さんに対する評判はかなり良い。その理由は、平田さんの話を聞いているとよくわかる。

「サロモは仕事です。でも僕はこの仕事を、お金を稼ぐためにやっているわけではないんです。美容師さんと一緒に作品をつくりたい、その気持ちが強いです」

時には謝礼や交通費が出なくても依頼を受けることがあるという。

「予算がなくて作品をつくれない、というような状況は避けたいんです。なぜなら、繰り返しになるけれど、お金ではなく作品をつくることがサロモをやる目的だから。なるべく気軽に頼める存在でありたいです。それに、その仕事が次の仕事につながることもたくさんあるし、お金以外の見えない価値がたくさんあります」

もしも平田さんが、これからサロモを志望する人に対してアドバイスするとしたら、“ギャラは気にするな”と言うだろうか?

「いや、そんなことは言わないですね。謝礼をきっちりもらって仕事をやる人だって、それは素晴らしい考え方だと思います。僕は“~~するべき”みたいなことは言いません。もし何か具体的に困っている人がいたら“自分はこう思う”と言うだろうけど、決めつけたり、自分の考えを押し付けたりすることはないと思います」

「自分のことを受け入れてほしいんだったら、相手のことを受け入れるのが先」

話をもう一度巻き戻すと、平田さんが友だちにカミングアウトしたのは高校を卒業する直前。SNSを使って、ほぼすべての友人知人に一斉に伝えた。

「もし受け入れられない人がいても、それはそれでいいと思う。ただ、陰口を言うのはやめてほしい。これで友だちの関係がなくなるとしたら悲しいけど、人それぞれ考えがあるから――そんなことをSNSに書きました。だけど、誰ひとりとして僕を責めてくるような人はいませんでした。みんな、今まで通り仲良くしてくれた。“確かにそのほうがしっくりくるね”と言ってくれた」

“カミングアウト”という言葉には、それを言えない苦しみと葛藤、言ったあとに変わってしまう周囲からの視線や態度への苦悩といった、ある種のネガティブな響きが含まれている。しかし平田さんの話は、カミングアウトにまつわる一般的なイメージとはすこし違う。

「そうですね。全然違うと思います。自分は本当にまわりの人たちに恵まれています」

もちろん、性やアイデンティティにまつわる葛藤がないはずがない。しかし平田さんから感じるのは、そうした葛藤や重さ、切実さよりも、さわやかに人生を乗り越えて自分らしく生きることの喜びだった。

「あんまりウジウジすることが好きじゃない性格のせいかもしれません。差別のようなことは、あまりされたことがないですね。たまに“今のは僕じゃなかったらウワっと思うかも知れないな”と感じる発言を聞くことはあります。でも、“その人はそういうふうに考えてるんだな”と思うだけなので、とくに嫌ではない」

平田さんの素敵な点はいくつかあるが、特筆すべきなのは、他人の考えを尊重するところだ。平田さんには“受け入れられない他人の考え”というものがほとんどない。

「自分のことを受け入れてほしいんだったら、相手のことを受け入れるのが先だと思うから」

「100人の人間がいたら、性別は100通りあると思う」

まずは相手のことを受け入れる。そういうスタンスだから、この記事を通して絶対に伝えたいメッセージのようなものがあるわけではない。なぜなら、そうしたメッセージを載せることは、自分の考えを押し付けることになるからだ。

個人的なことで恐縮だが、筆者は、平田さんと会うまで、LGBTと呼ばれる人たちに勝手なイメージを抱いていた。彼ら・彼女らは、たえず何かと戦っている。抑圧され、苦しみ、特別に傷つきながら生きている。そう思い込んでいた。

もちろんそういう部分もあるだろう。しかし、必ずしも全員がそうではない。いや、正確に言えば、“LGBTの人々は〇〇であるはず”という思い込みもまた、ある種の差別なのだ。そして無自覚に差別意識を持ってしまうこと、自分だけは偏見を持っていないと思い込み、正しい知識を得ることをせず、本当の声に耳を傾けないことが、この社会にある問題の根底なのではないかという気がする。

男らしさや女らしさとは、いったい何なのだろう。それはもはや死語なのだろうか? 平田さんには、このような概念があまりない。


「男らしさと女らしさのボーダーを決めるのはかなり難しいですね。イカつい、強い、オラオラしている、そういうものを男らしさだと感じる人もいるけど、別にそういうことではないと思う。100人の人間がいたら、性別は100通りあると思う。だから、このラインから先は男らしい/女らしい、という考え方はしないです」

戸籍の上でも、性別の取り扱いを変更することは可能だ。2人以上の医師により性同一性障害と診断されていること、二十歳以上であること、生殖腺がないこと等、いくつかの要件を満たし、なおかつ裁判所に申し立てるなどのプロセスが必要ではあるが、もちろん実例もある。平田さんも将来は、戸籍上の性別を変更するつもりだという。ただし、名前は変えない。

「変えざるをえない名前の人もいるけど、そうでないのであれば、親からもらった名前は大事にしたい。僕の名前は、優しいに美しいと書いて優美(ゆうび)と読みます。すごく気に入っているので、名前を変えるつもりはありません」

誰もがその人だけの顔と身体とこころを持ち、その人特有の人生を生きる。

家族、恋人、友人。平田さんのまわりには素敵な人しかいないように見える。なぜだろう? 運が良かったからだろうか? たしかに運も良かったのだろう。しかしそれだけではないように思える。平田さんは、他人の考えを絶対に否定しない。たとえそれが自分を傷付ける類の考え方であってもだ。

平田さんのまなざしは、イエスでもノーでもなく、そのふたつのあいだにある無限の曖昧さに向けられている。「曖昧さ」という言葉にネガティブな印象を抱くならば、これを個性だと言い換えてもいい。

人間は本来、ふたつに分けることなどできない存在だ。イエスかノー、右か左、表か裏、そんな二元論は便宜的なものでしかない。ほとんどの物事は、それらのグラデーションのなかに存在している。そして当たり前のことだが、同じ人間はこの世界にひとりもいない。誰もがその人だけの顔と身体とこころを持ち、その人特有の人生を生きる。みんなちがって、みんないいわけだ。

……この、いまや誰もが一度は聞いたことがあるであろう「みんなちがって、みんないい」という言葉は、いつからか、少しの失笑を含んで語られる定型文になった。しかし、平田さんの本質的で強い言葉(それは暴力とは真逆の強さだ)を聞くと、この定型文は、とたんに輝きを取り戻す。

「100人の人間がいたら、性別は100通りある」
「自分のことを受け入れてほしいんだったら、相手のことを受け入れるのが先」

多様性とは、本来こういうことを言うのだろう。

みんなちがって、みんないい。

hair : 佐藤けいすけ/pizzicato cita

執筆 : 山田宗太朗
写真・編集 : ミネシンゴ

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