PICK UP LADY

嗅覚を失った彼女を支えた、香りの“記憶”

京都のとある大学の学園祭。この学祭に、物心ついた頃からミルボンが大好きで、今回ミルボンの紹介イベントを企画・実行した学生がいるという話を聞いて、学祭にお邪魔させてもらった。企画の主催者、西倉あや音さんにお話を伺った。

ミルボンとの出会い

西倉さんがミルボンと出会ったのは9歳の頃。当時、母親の使うミルボンのシャンプーとトリートメントの香りのよさに魅せられたという。

「私にとってのミルボンは、母が使っていたという事もあって、大人の象徴みたいな、憧れの存在でした。ミルボンを使うこと=贅沢で幸せ、って感じで」

いい香りに包まれてシャンプーするひととき。それは単に汚れを落とすだけでない、何か満たされるような、素敵な気分になれる時間なのだという。

「小さいころ朝お風呂場に行くと、朝日できらきら輝くボトルがすごくきれいで。その光景が見たくて、朝風呂が習慣になってしまったほどです」

なにか強い印象を受けた情景は、そのまま脳に焼きつけられて、その後の人生で何度もよみがえってくる。それが幼い日の経験であれば、なおさら。そんな優しい原体験のもと、彼女はミルボンへの愛着を深めていった。

早くから定期的に縮毛矯正に通い、毎日コテで髪を巻いたり、メイクをして通学する小学生だった西倉さん。美容への関心は小学校がピークだったという。しかしその熱意が、横浜から滋賀への転校を機に一転してしまう。

「おしゃれすることで周りから浮いちゃうのが怖かったんです。環境が変わって忙しかったのもあって、メイクも髪を巻く楽しみもなくなって。とうとう髪をばっさり切っちゃった。髪を短くすれば、色んなフラストレーションを受け入れられるかなって思ったんですね」

転校先での不安。正直、横浜に戻りたい気持ちもあったという。

「横浜にいた頃は、あの高校に行きたいとか、将来へのビジョンがあったんです。オープンスクールに通ったりもして。でも滋賀に引っ越して、なんていうか、自分が何をしていいかわからなくなったというか、将来が見えなくなってきちゃって…」

突然の事故

 そんな中学生活をおくっていたある日、自転車で学校に向かう途中で、彼女は交通事故に遭う。信号のない横断歩道を横切ろうとして、時速制限を無視して突っ込んできたバスに、跳ねられた。

「奇跡的に外傷がなかったんですけど、頭蓋骨が三か所割れました。当時、意識はあったみたいで、話しかけられたら受け答えできてたらしいんですけど…。実はその時の記憶が、すっぽりなくなっていて。次に目が覚めた時は事故から2週間が経っていて、病院に寝ていました」

もし彼女の首がもう少し太かったら、半身不随になっていたと医者に言われたそう。脳に血液が溜まっている状態で手出しができず、しばらく入院生活が続いた。今も、当時のむち打ちの後遺症が残っているそうだ。

「匂いが分からないことに気づいたのは、事故から半年後のことでした。ある日、部屋でマニキュアを塗ってたら母が来て『なんで換気しないの?』って。部屋にはマニキュアの匂いが充満してたのに、私はそれを認識できなかったんです」

 検査の結果、事故で嗅覚に関係する神経が切れてしまっていたことが分かった。

「お医者さんに、外傷で嗅覚を失った例は初めて見たと言われました」

 嗅覚を失ったことで、香りのするものが使えなくなったという西倉さん。選んだものがどんな香りなのかわからない。香りの強さもわからない。自分の匂いが、知らないうちに周りに不快な思いをさせているかもしれない。多感な思春期の只中で、それがどんなに不安な感覚だったかは想像することしかできない。

「当時学校である制汗剤が流行ってたんですよ。体育の授業が終わった後に使うのがおしゃれみたいになってて。私も以前使ってたその制汗剤を使おうとしたんですけど、匂いが分からないから、結局使えなくて。友達と話してて香りの話題がでたら、そうだよねーってあいづちは打ってたんですけど…」

 匂いが分からないというコンプレックスを抱えつつも、そのことを彼女は周囲に言わなかったという。

「わざわざ言うことでもないかなと思って…。打ち明けられるほど仲のいい友達がいたわけでもないし。中学校、あんまり好きじゃなかったんです」

 そんな彼女が匂いを失ってからも唯一、ミルボンのシャンプーだけは使い続けられたという。

「ミルボンがすごくいい香りだったということは、記憶に残ってたので。これなら大丈夫、って思って」

 自分だけが匂いを感じられなくなった世界で、かつていちばん好きだった匂いの“記憶”にすがる気持ち。少しだけ、わかるような気もする。

「食べ物の匂いが分からないのが、とくに辛かったです。もともと餃子とか、にんにく料理が大好きなんですけど、匂いが感じられないとその味も全然違ってしまうんです。いかに普段の生活に匂いが影響していたかを痛感しました」

そこから約4年間、匂いのない世界を生きていた西倉さん。

「高校3年くらいから、だんだん嗅覚が回復し始めたんです。はじめは強い匂い、臭い匂いが一瞬わかるようになって」

リハビリなども重ねる中で、徐々に薄い匂いもわかるようになっていった。

「ある日母がキッチンでトマトソースを作ってて。私は二階にいたんですが、一階から漂ってきたトマトソースの匂いが嗅ぎ取れたときの、うれしさと言ったら! あの瞬間は、今でも鮮やかに覚えています」

今では、ほとんど健常者と同じくらいの嗅覚に戻っているそうだ。

ミルボンへの恩返し

 進学するなら女子大がいいと考えていた西倉さん。その理由も、あの“事故”にあるという。

「私は、死んでてもおかしくない大きな交通事故に遭って、でも、こうして生きている。それについて、ずっと考えていました。なぜ自分は生き残ったんだろう? ニュースとか見てると、いろんな偉い人、才能のある人が死んでいく。なのにどうして、当時、転校ごときで暗くなっていた自分なんかが生きてるのかって。一度死にかけたのをきっかけに、自分を見つめなおすことになった。それでそのうち、どうして自分は女なんだろうっていうことが気になって。女性にできることはなんだろうって考えるようになりました。それで、女子大に行きたいなって」

そんな中で、大学の掲げる“Be a Lady”という言葉に出会う。その言葉は、彼女の抱えている色んな悩みに呼応する響きを持っていた。

「あなたたちは、レディーでありなさい。」というお言葉じゃないですか、これって。女性であることに色んな不安や疑問があったりした時に、女性であることを前向きにとらえるこの言葉に出会って。その肯定に救われました。受け入れてもらえたように感じたんです。一人で、勝手にうれしくなっちゃって」

そんな経緯でこの大学を受け、今日に至る。大学では文化祭実行委員に入った西倉さん。文化祭のテーマ決めをする時には、“Be a Lady”をスローガンに提案したという。

「結局、それは通らなかったんですけど(笑)。でも“Be a Lady”という言葉は、私がこの大学に入るきっかけになった言葉だったし、大学で女性らしさとか美しさについて学ぶ機会があってもいいんじゃないかって思ってて。そんな時にオージュア(ミルボン商品のブランド名)のファン交流会に行ったんです。そこでミルボンの研究員の方の話を聞くうちに、これなんじゃないか、って。気づいたら実行委員の名刺を渡していました」

 ずっと大好きで、人生の節目ではその香りの記憶で彼女を支えてくれたミルボン。その魅力を、今度は彼女が色んな人に伝えていく番だった。

「ブースには実行委員の友達なんかも呼んで、来てもらいました。みんな面白がってくれます。時間があれば全部見たいと言ってくれる子もいて、好評なんですよ。準備の時、ミルボンのあのいい香りが部屋中にたちこめて、友達が『ずっとこのいい香りの部屋にいたい』とか言ってるのを聞くと、なんだかうるうるしちゃいました」

さらに、予想外のうれしい反響も。

「今日の朝、後輩に話しかけられて。私もミルボン使ってますって。教職員の方からも、ミルボンいいよねって声をかけてもらえたり。近くにいた“隠れミルボンファン”と新しいつながりができて、なんだか、感無量です」

すくいあげた、自分なりの答え

やっぱり将来はミルボンに就職したい?という質問には、
「うーん…、私にとってミルボンの商品って、とにかく高貴な存在で。小学校の時から、雲の上の世界っていうか。だから個人的には、ドラッグストアとかに安易に置いてほしくないし、有名タレントでプロモーションとかもしてほしくないですね(笑)。それくらい尊い存在だからこそ、ミルボンで働くなんて、恐れ多くって…。あくまでいちファンとして、愛用していきたいです。あっでも、ミルボンの株は買いたいです(笑)」

気持ち悪いですかね、といって笑いながら、熱心にミルボンへの愛を語ってくれた彼女。
では今回の展示を通じて、何か将来につながること、実になったことなどは?と聞くと、いきいきとした表情が少し思案げに雲った。

「ただもう、ミルボンさんにせっかく来てもらったから、何か持ち帰っていただけることがあったかなって、そればっかり気になって…。交通事故に遭ってから、いろんな人にお世話になって生きてるなって強く感じながら過ごしていて。だから、一度死にかけて生き残った私のこれからは、自分を応援してくれたり、支えてくれる人たちへ“恩返し”の時間なんじゃないかって思ってるんです。それが、私の生きていく意味なのかなって」

 大きな事故に遭って、九死に一生を得た西倉さん。ひょっとして、消えてなくなっていたかもしれない自分の人生を、彼女は恩返しのために生きていきたいという。

「だから今回のミルボンさんとの件も、色々思うことはあるんですけど、やっぱり、辛かった時に助けてくれたことに対して、ちょっとでも恩返しになってたらいいなって思ってます。それさえできれば、成功なのかなって」

 インタビューを終える頃、曇り模様だった学祭の空に、晴れ間がさしてきた。悩みながら、迷いながら、感謝を忘れず一生懸命今を生きる西倉さんをそっと見守るような、澄み渡る秋の気配。これからの人生にどんな遠まわりがあっても、彼女は彼女なりのいちばん正しい道を、きっと選ぶ。

文:三浦奈津実
写真:ミネシンゴ

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