ESSAY

「Fake it till you make it. 」真っ赤な髪が、新しい自分へと導いてくれた

ESSAY | 2020.12.15

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2019年5月。
元号が平成から令和になって、22歳だった私は、いきなり髪を真っ赤に染めた。

髪は、それまで一度も染めたことがなかった。黒と栗色のあいだのような色をしていて、一度も染めたことがないからサラサラで。そんな自分の髪の毛が、私はとても好きだった。

高校生の頃は校則が厳しくてそもそも染められなかったけれど、高校を卒業してしまえば、親に止められていたわけでもないし、染めようと思えばいつでも染められた。事実周りには、高校を卒業した途端、来るべき大学生活に備えて髪を染める友だちがたくさんいた。

でも、私は染める必要性なんて、何ひとつとして感じていなかったのだ。

……赤色に、染めようと思うまでは。



20歳を過ぎたあたりだろうか。

十代の頃、私はなんとなく毎日を過ごしていたけれど、歳を重ねていくうちに、人生の中で日々起きる、些細な出来事から大きな出来事まで、いろんなことをできるだけ、ドラマチックに記憶していきたいなと思うようになっていた。特にこれといった理由があったわけではないけれど、歳を取るたび速く感じる時間に対し、振り返った時に何も残っていないことが怖くなったのだ。きっと、自分を「今」に引き留めたかったのだと思う。

一瞬一瞬のシーンが鮮明に頭に蘇り、ずっと忘れたくないと思えるような、そんな瞬間を少しでも増やしたい。そして、いつかおばあちゃんになったとき、孫に自分の人生を、おもしろく、情景豊かに話したい。

たとえば、はじめてピアスを開けたのは、旅行先のフィリピンでのことだった。フィリピンの、よくわからないショッピングセンターの地下にあったお店で、友達と一緒にケラケラ笑いながら現地の人に開けてもらったピアスの穴は、私にとって、一生忘れない思い出だ。

たとえば、「友達とおしゃべりをする」という時間を過ごすにしても、ただファミレスに行ってダラダラ話すのではなく、せっかくなら美味しいお酒を買って、夜の川辺でせせらぎの音を聞いたりなんかして、空を見上げ、飲みながら話したい。それだけできっと、なんてことのないおしゃべりも、私にとっては特別な思い出になる。

出来事と記憶を少しでも紐づけて残していきたい。そんなことを考えるようになっていたある日。

元号が、平成から令和に変わる、という大きなニュースが飛び込んできた。

元号が変わる? そんなこと、今後、私の人生で二度と起こらないかもしれない。だからこの出来事も、少しでも、記憶に残るものにしたいと思った。

「そうだ、髪の毛を赤に染めよう」。

突拍子もない思いつきだった。自分が生きてきた平成という時代が終わるということで、なんだかハイに、お祭り気分になっていたのかもしれない(事実、あの時は世の中のみんながハイだったように思う。平成最後の夏、とか言って)。

それに、自分の髪を気に入っていた私にとって、髪を染めるのであれば、「お気に入りの地毛」の価値を超えるような、何か特別な理由がなくてはいけなかった。

元号が変わる。ひとつの時代が終わり、新しい時代が幕開けする。
そして、その記念に、私は髪を真っ赤にする。

それは私なりに、タイミングと理由として、完璧だった。

染める美容院は、美容サイトで割と適当に決めた。「派手色なら原宿っしょ」といった安直な考えで、原宿でカラーが得意そうな美容院を探してそこへ向かった。ブリーチを塗られた瞬間は心臓がドクンと音を立てたけど、はじめてでいきなり赤に染めるということで、私よりも美容師さんが興奮していた。

──数時間後。
鏡の前には、以前とはまったく違う自分が、そこにいた。



このように、髪を染めた理由は「元号が変わったお祭りついで」みたいなものだったけれど、その外見の変化は、想像以上に、私の性格や人間関係など、ありとあらゆる部分に影響をもたらした。

髪を染めた当時、私はかなり不安定な状態にあった。

私は高校を卒業し、大学に入学して普通の大学生活を送っていたけれど、とあるIT企業に出会い、そこでデザイナーのインターンシップを始めた。するといつしか学業よりも、仕事の方が楽しくなっていき、その企業で働きたい、デザイナーになりたいという気持ちが膨らんでいった。そして大学を休学、さらには中退し、そのIT企業で真剣にデザイナーとしての道を歩もうとした。

けれど、現実はそううまくはいかず、働いている途中に心身のバランスを崩して倒れてしまった。会社はもちろん、辞めざるを得なかった。学校も辞めてしまっていたから学生でもない。働いてもいないから社会人でもない。

社会的に信用のない状態になって、自分は一体何者なのか、社会に存在してもいいのか、まったくわからなくなった。足下も、目の前に広がる世界も、急に真っ暗に、不確かになったのだ。

そんな不安や焦りから、私は以前から興味があった心理学を学ぼうと通信制の大学に入学しなおして、いわゆる「学生」という肩書きをふたたび手に入れた。そして、学業の合間に、好きだったイラストで少しずつお仕事をもらうようになっていった。

心身の状態はよくなっていったものの、どこかでいつも自分に自信がなく、なぜか周囲から舐められていると感じていた。作品を作っても、所詮は「学生が作ったもの」として見られてしまう。あいかわらず私には、いつも不安がつきまとっていた。

そんなタイミングだったのだ。
髪を赤に染めたのは。

髪が赤くなると、なんだか私は無敵になったような気持ちがした。本当の自分よりも「強い」自分が外見にあることで、内面まで引っ張っていってくれるような、そんな気が。

周囲からの見られ方も変化した。髪が赤いだけで、とにかく「個性」がある子なんだ、という見られ方をするようになった。自分が描いたイラストも、扱われ方が変わったように思う(中身は変わっていないのに、なんだそれ、とも思った)。

そして周囲からそういう見られ方をすると、否が応でも、「自分の個性ってなんだったっけ?」ということを考えざるを得なくなった。

私はどういう時に幸せを感じるんだろう。
私はどういうものが表現したいんだろう。
私は本当は、何がしたいんだろう?

赤髪がもたらした外見と内面のギャップによって、「自分がしっくりくる自分像」を、探し続けるようになった。赤の次は、オレンジピンク、青、紫など、いろんな色に挑戦した。それは今思うと、模索心の表れだったのかもしれない。

きっと私は、自分の存在を確認したかったのだ。自分の存在を世の中に知らしめるために髪を染め、そこで出した自分に追いつくために、がむしゃらに考え、行動し、日々を過ごした。



そうやって、自分を模索し始めてしばらく経った頃だろうか。
世界に、新型コロナウイルスの猛威が舞い降りてきた。

あっというまに人に会えなくなって、家にこもる毎日で、美容院に行けなくなって半年ほどが経過した。私の髪は、最後に染めた紫色が抜けて金髪のようになり、しかも半年分の髪が伸びて、プリンとも言えないような、見るも無残な状態になっていた。

2020年5月。
緊急事態宣言が解除され、ようやく美容院も営業を再開して、予約をしようと思ったその時。

私は自然と、ふと思ったのだ。

「もう、黒髪に戻してもいいかな」。

その頃の自分は、ほとんど焦りがなくなって、もう髪の色に頼らなくてもいい、と思えるようになっていた。心理学の勉強をして、好きな友達と話しているだけで、心はとても満たされる。いろいろと行動した1年で、たくさんの愛情深い友だちに恵まれたのも大きかったのだと思う。

派手な髪色で「自分探し」の必要性をあえて作らなくても、自分は自分なのだ──そう思えるようになった。

私は髪の毛を、黒色に戻した。
はじめて赤髪にした時から、1年が経過していた。



「Fake it till you make it.」
うまくいくまでは、うまくいっているふりをしろ。

髪を派手な色に染めていた1年間、私はこの言葉を体現していたのかもしれないな、と思う。外見の強さを先に用意して、あたかもれっきとした個性があってうまくいっているふりをして、そこに追いつこうと必死だった。

たくさん考え、悩み、もがき、Fakeする必要がなくなった今。私は自分のことを、心から等身大だと思う。

黒髪に戻ったけれど、今の黒髪は昔の黒髪とはまったく違う。
そこには赤髪だった頃の記憶が確かにあり、少し強くなった新しい自分が存在しているのだ。

文:あかしゆか  イラストレーター:

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