ESSAY

女の子の代名詞で描写できない私へ

ESSAY | 2021.03.10

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不思議と、涙は出なかった。
「自分はいじめられている」という歴然たる事実が目の前にやってきても、私は泣かなかった。いや、「泣けなかった」という言葉のほうがニュアンスとしては近いかもしれないな。どうだろう、わからない。
ただ、その黒板に彫刻刀で掘られた「もう学校こんでいいやろ」という文字を見ても、どういうわけか心が動かなかった。この状況をどこかぼんやりと冷静に観察している自分が、心の奥底に佇んでいた。



私は小学4年生から中学2年生までの約5年間、いじめられていた。
広島の小さな学校だった。全校生徒は60人くらい。年齢もクラスもほとんど関係なく、みんな一緒に授業を受けたり催しをしたりするような、狭いコミュニティのなかで子ども時代を過ごした。

そんな環境を、さして息苦しいとも、つらいとも思ったことはそれほどなかったと思う。ふつうに暮らし、ふつうに生活し、ふつうに勉強して。ふつうの子どもと同じように過ごしていた。

だからまさかあんなことで、私の「ふつう」が崩れるだなんて、思ってもみなかったのだ。



転機がおとずれたのは、小学4年生のなかば、髪を短く切ったことだった。

きっかけは些細なことだった。学校で毛じらみが流行したのだ。
母は、長かった私の髪をすぐさま切ろうと言い出した。真っ黒でさらさらの、お人形みたいなロングヘア。女らしさにこだわりのある母は、ていねいに私の髪の手入れを続けていたけれど、さすがに毛じらみで痒くなるよりはと、ばっさり切ることを提案してきたのだった。

されるがまま美容室に行って、私は髪を切った。シャキ、シャキとはさみが入る音。重みが消えるたび軽くなっていく肩。こぼれた細かい髪の毛が首筋をくすぐって、こそばゆかったのをよく覚えている。

「はい、できました」

美容室の大きな鏡にうつる自分の顔を見つめて、息を呑んだ。
艶を纏ったストレートヘアの、いかにも「女の子らしい」私は鏡の前から消え去って、その代わり、男の子と見間違うようなベリーショートの自分が、そこに座っていた。

「本当に、男の子みたいねえ」

少し残念そうに告げる母の声なんか、まったく気にならなかった。

いいじゃん。
めちゃくちゃいいじゃん!
私、これがいい!

私が探していた自分はこれだったんだ、と思った。「艶」「ストレート」「ロングヘア」。女の子の代名詞ではけっして描写できない自分になってしまったけれど、それがかえって心地よかった。これじゃん、そうだよ、これだよ! かっと胸が熱くなる。頬が火照る。そのときはじめて、ようやく本当の自分に出会えたような気がした。



以来、私が髪を伸ばすことはなく、ベリーショートが私のトレードマークになった。
けれどそんな新しい私を、周りの人間は受け入れてくれなかった。

いじめがはじまったのだ。

「毛じらみがあるから切ったんだ!」
「なんでそんなに髪短いの?」
「男みたい!」

学校に行くたび、毎日のようにそう言われた。私の周りから友達はいなくなった。クラスメイトの女子たちからは仲間外れにされ、陰口を叩かれた。

「あんな男みたいな子と一緒に遊ぶのやめよー」

そんな声が聞こえた。聞こえるように言っていたのだろう。私は毎日ひとりで学校に通い、ひとりで学校から帰った。昼休みも授業もひとりだった。誰とも口を聞かなかった。

ある日のことだった。登校すると、クラスじゅうからニヤニヤとしたいやらしい視線を感じた。ふと黒板を見やると、私の悪口が書いてあった。とっさに、黒板消しを手にとった。でも消えない。あれ、どういうことだ。なんで。じっとその文字を見て、はっとした。チョークで書かれているんじゃない。彫刻刀で掘られているのだ。

しばらく、そこから動けなかった。どこかぼんやりと、俯瞰するように、ずっと遠くのほうから自分自身を観察していた気がする。

なんか、バカみたい。

なんでこんなことするんだろう。全く理解できなかった。だって私は何も悪いことをしていないのだ。私はショートヘアが好きだから、似合ってると思うからショートヘアにしているに過ぎないのだ。なのに「みんなとちがう」というだけで、どうしてこんな目に遭わなくちゃならない?

絶対に伸ばすもんか、と思った。

周りから、何度「伸ばしたら」と言われたことだろう。「髪は女の命なのよ」と母はたびたび私に言った。私は納得できなかった。髪が短いというだけで、人と違う髪型だというだけで、どうしてまるで「女」である権限すらも失ったような言われ方をしなくちゃならない?

小学校高学年になり、中学校に進学してもいじめは止まなかった。
それでも、私はベリーショートを貫いた。誰になんと言われようと、これが私だ。これが私らしさであり、これが私の女らしさなんだ。
あるいは、そうやって同じ髪型を貫くことが、幼い私を守る鎧になっていたのかもしれなかった。



「その髪、めちゃくちゃかっこいいね! すっごい似合ってる!」
だから、そうやって天真爛漫に褒め言葉をぶつけられたときには、一瞬、どう反応していいかわからなくなってフリーズしてしまった。
中学2年のころだった。所属していた吹奏楽部に、転校生がやってきた。好奇心旺盛に動く瞳が印象的な、はきはきしゃべる女の子だった。肩口で切りそろえられたボブは、彼女が大きな声で笑うたびにふわりと揺れた。
同じ部活に所属したことがきっかけで仲良くなった私たちは、一緒に登下校するようになった。

「その髪の毛、さらさらできれいだね。羨ましい」
あるときふと、彼女のボブヘアーを見て、何気なくそう口に出した。本当にきれいだと思ったのだ。それを聞いた彼女は嬉しそうに笑って頷いて、そして、

「羨ましいのはこっちだよ。短いの、似合っててめっちゃかっこいいじゃん。私、その髪、すごく好き!」

とまっすぐに、そう言った。

瞬間、ざわりと心臓の奥が揺れるのがわかった。小刻みに震えて、その振動が全身に広がっていくようだった。これはどういう感情なんだろう? 暖かいようなくすぐったいような──どう言葉にすればいいのか、わからない。
ただ、なんだか突然つんと、鼻腔が痛くなっていくのがわかった。あれ、なんでだ。どうしてだ。黒板に掘られた文字を見ても揺るがなかったのに。泣きたい気持ちになったことなんてなかったのに。

ああ、そうか。
そういうことか。

瞬間、ふっと、気がついた。ようやく腑に落ちたような感覚があった。
ぱりぱりと、心を硬く包んでいた何かが剥がれおちていく音がする。

そうか、私はもしかしたら、ずっとこうして誰かに許してもらいたかったのかもしれない。
「私が私でいる権利」を、認めてもらいたかった。許してもらいたかった。世間一般でいう「女らしさ」を欲しない私でもいいよ、と言ってくれる場所が、ほしかった。

彼女に出会えて、ようやく私は許されたような気がした。ここにいてもいいよ、と言ってもらえたような気がした。みんなに認めてもらえなくても、信頼するたったひとりに「好き」と言ってもらえたことだけで、本当に幸せだと思った。これでいいじゃん。これでいい。いいんだよ。私はちっとも「間違い」なんかじゃない。たしかに「ふつう」ではないかもしれない。みんなが「美しい」と思うものを、同じように「美しい」とは思えないかもしれない。クラスメイトたちや、母の思うような「女らしさ」は手に入れられないかもしれない。でもそれが私なのだ。私が彼女たちにはなれないのと同じように、彼女たちだって、私になることはできないのだ。

「女の命は髪だ」と、耳にタコができるくらい何度も言われた。伸ばしたら? 女らしくしたら? 男の子みたいな髪型にするのをやめたら? あるいはいじめられることはなかったかもしれない。でもそれをしてしまったら、私じゃなくなる。私以外のまったくべつの「誰か」になってしまう。

何かがふっきれた瞬間だった。もう友達がたくさんできなくても気にしなかった。「好きだ」と言ってくれる彼女がいてくれるだけで十分だと思った。

気がつけば、いじめは止んでいた。




以来、私と彼女は親友になった。中学を卒業し、高校、専門学校へと進学し、就職をして24歳になった現在も、彼女との仲は続いている。月に1回は必ず会って近況報告をしあうのが私たちの楽しみだ。

専門学校で美容の勉強をした私は今、アイリストとしてお客様の目元を美しくする仕事をしている。どんな目の形にしたいのか、どんな雰囲気をまといたいのか……。お客様のリクエストを深く掘り下げて悩みやコンプレックスを解消するお手伝いをできた瞬間は、嬉しくて思わず笑顔になってしまう。

社会人になった私の周りには、私を「好きだ」と言ってくれる人がたくさんいる。奇抜なファッションに身を包んだ子、紫の髪の毛がよく似合っている子、私と同じようにベリーショートを貫いている子……。周りもみんな、自分らしさを思いっきり楽しんでいるから居心地がいい。

きっかけは、些細なことだった。
髪を切ったことで、私の周りからは友達がいなくなった。でも髪を切ったからこそできた居場所も、たしかにあった。私自身を見つけられた。周りと違う髪型を貫き疎まれた私のそばには今、私を「好きだ」と言ってくれる人がたくさんいる。

「髪は女の命」だなんて、誰が言い出したんだろう。誰が決めたんだろう。
私はそんなの、違うと思う。
本当の女の命は髪なんかじゃなくて、笑顔じゃないか。心から思い切り笑って、楽しんで。そうやってニコニコしているベリーショートの私が、私はいちばん好きだ。自分が笑顔でいられる髪型を見つけて、笑顔でいられる場所にいることが、女性をもっとも美しく見せる方法じゃないかと、そう思う。

今日も私は自分でリメイクした洋服を着て、お気に入りのブーツを履いて、仕事の身支度をする。家を出る前に、鏡を見て髪型を整える。
今も、もちろんベリーショートだ。さいきんは、真っ白に近い金髪に入ったブルーのインナーカラーがお気に入り。前髪を軽く整え、鏡に映る自分ににっこりと笑いかける。

うん、すごくよく似合ってる。これが私だ。

玄関を開け、空を仰ぐ。気持ちのいい空気に包まれる。朝の冷たい風が首筋に触れて心地いい。

ほかの誰でもない、たったひとりの私を、ほら、世界が待っている。

文:川代紗生  イラストレーター:

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