ESSAY

返事のないシャンプー

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私の髪は、黒い。
黒くて長い、ストレートヘア。
この髪を毎日、シニヨンにまとめて、仕事に出かける。私のことを知らない誰かの、髪を洗いに。

「じゃあ、流していきます。湯加減は大丈夫ですか」
「強さいかがでしょう、かゆいところがあれば言ってくださいね」

美容院のシャンプーなら、そんな風に声をかけるんだと思う。けれど、私が髪を洗う人は、いつも返事をしない。熱くても「熱い」と言わない。かゆくても「かゆい」と言わない。髪を染めたくても、髪を切りたくても、その人の意思で何かを決めることは、もうない。


2019年の春。
明るかった髪色を黒に染め、
私は「湯灌師」になった。



***

話は、中学2年生まで遡る。


クラス替えのタイミングで、「キョウカ」 という名前の友人ができた。マクドナルドのバニラシェイクが大好きな、よく笑う女の子だった。


ある日、彼女の左腕に、たくさんの傷跡を見つけた。ふとした瞬間に知り、一瞬だけ驚いた。

サッと隠して「ごめんごめん。びっくりするよね」と微笑むキョウカ。特に深い話をすることもなかった。理由を知ったところで、自分が何かできるとも思えなかった。それに、今日も変わらずキョウカと放課後にマクドナルドに行き、バニラシェイクを買い、どうでもいい話で笑い合う、それでいいと思った。


夏のある日。
いつも通りマクドナルドで喋っていると、何かの拍子にたまたま、「傷跡が痛くないかどうか」という話になった。込み入った話ではなく、「夏は腕時計の日焼けが厄介だ」とか「バンド部分が蒸れる」とか、そういう会話の流れだった。

話しながら、私は自然とキョウカの腕に触れていたらしく、別れ際にキョウカは、「こんな汚い手に、ふれてくれてありがとう」と言った。さっきまで笑っていたキョウカが、泣いていた。私は、何て言っていいかわからず、そのときはじめて「悔しい」と思った。



キョウカの言葉は、何度も頭の中でループした。これまで「何もできないしな」と思っていた自分が、「何かできることはないか」と考えていることに気づいた。彼女に何かしたいというよりは、自分の「悔しい」という気持ちに対して「何かできることはないか」と思ったのかもしれない。

ネットで検索していると、「カバーメイク」や「メディカルメイク」という技術の存在を知った。主に医療の領域で使われ、火傷や傷の跡を隠せるもの。もともとメイクが好きだった私は、「美容業界以外で活躍する美容」に興味を持ちはじめた。


***



マクドナルドで語り合ったキョウカとは、歳を重ねるごとに、週1でスタバに行く関係になり、月1でご飯に行く関係になり。大学生の後半には、たまに飲みに行くようになっていた。いつかのバニラシェイクは、安い焼鳥屋の薄い酎ハイに。その日は「卒業後どうする?」という話をしていた。


「私、親の仕事手伝うかも。なんか、就活自体がしっくり来なくて」
「わかる。髪の毛、黒染めするのやだなー」
「あんた、美容とか行きそうだったけど、今福祉だもんね。そっち系進むの?」
「うん、そのつもり」


私は高校卒業後、美容専門学校か、福祉系の大学か、毛色の違う進路で迷って後者を選んでいた。というのも、実は、キョウカとの出会いをきっかけに、「社会的に生きづらさを抱える人」が気になっていた。それは当時のニュースなどでは、高齢者や障害者にフォーカスされ、「福祉」という言葉で語られていた。

理不尽な部分、見えていない部分。私は、モヤモヤしていた。レッテルのようなものと、戦いたい感覚もあった。そんな仕事をしたいけれど、まずは知識や現状を掴まないと、きっと話にならないだろう。だから、「福祉」の分野を志した。


でも、やっぱり美容は好きだった。大学に通いながら、独学で学んだり、美容部員のバイトをしたり。 そして、福祉の現場で出会うおばあちゃんや、身体に不自由がある人に、ボランティアでメイクをする活動をはじめた。まさに、中学の頃に知った「美容業界以外で活躍する美容」だった。

この活動は、ものすごく喜ばれた。「役に立ちたい。でも、何もできない」キョウカに出会った頃に感じていた「悔しさ」が、少し満たされた。結局、大学を卒業してからも、バイトをしながら、活動を続けていた。


***



そんなある日、私はまた、新しい「悔しさ」を知る。
自分がいつもメイクをしていたおばあちゃんが、この世から旅立っていった。

施設の方から知らせが届き、お別れを伝えにお葬式へ行く。おばあちゃんは、穏やかに眠っていた。けれど、あのメイクで喜ぶ表情には、もう会えないのだなと思った。

私にできることは、なかっただろうか。
最後まで、手伝える方法はないのだろうか。

そしてたどり着いたのが、「湯灌師」だった。


湯灌師とは、亡くなった方の、最後の身支度のお手伝いをする仕事。身体を洗い、お顔そりをして、シャンプーで髪を洗う。それからお着替えとメイクをし、最後にお棺の飾りを整える。


こうして私は「湯灌師」を目指し、求人を探しはじめた。大学を卒業して、2年後のことだった。

***


葬儀業界ということもあり、まずは明るかった髪を、黒に染めて、シニヨンに束ねた。

求職時の黒染めに、フラストレーションを抱える人は多い。正直、自分もそのひとりだった。美容が好きで、髪色も髪型もひとつのアイデンティティだった私は、鏡を見るたびにモヤついていた。

「なんか、自分っぽくないな」
「この仕事は、こういう色が正解って、一体誰が決めたんだろうな」

そんなことをぐにゃぐにゃと考えながらも求職活動は進み、面接をしてもらった会社から、内定通知の電話がきた。



湯灌師の仕事が始まった。
湯灌師は、想像以上に、想像力を使う仕事だった。

「じゃあ、流していきます。湯加減は大丈夫ですか」
「強さいかがでしょう、かゆいところがあれば言ってくださいね」

シャンプーをするときに、普通なら心がけること。でも湯灌の場合、返事は返ってこない。だからなるべく、その人の気持ちを想像しながら洗っていく。熱くないかな、どうかな。どうしたら、気持ちいいかな。

リアルな話になるが、首に力を入れることができなくなった人の頭は、思った以上に重量がある。しっかり支えるけれど、その持ち方も工夫をする。横から見て、しんどそうだったり、苦しそうに見えるようには、絶対にしたくない。様子を見守るご家族の方にも、「気持ちよさそうにしてるなあ」って思ってもらいたい。


人の死にふれる毎日は、今まで感じてこなかった、いろんなことを考えるようになった。特に、湯灌をする中での自分の役割について、考えるようになった。

大事な人を見送る最後の場面に、その人の人生に登場しなかった人が関わっている。全く関係ない私が、その人の髪を洗ったり、身体を洗ったり……一番のプライベートエリアに入らせてもらっている。普通に考えると、ありえないこと。

これは、何だろう。
私は一体、どういう役割なんだろう。

もちろん、「お見送りを手伝う役割」には違いない。けれどそうじゃない、出会う人との向き合い方に通じる言葉で認識したかった。それが、すべてへの敬意になると思った。


***


ある日、自分と同い年の女性を見送ることがあった。

歳を重ねた方と出会うことが多い毎日だけど、その人は自分と同じ、黒くてストレートのロングヘアだった。いつも通りシャンプーをはじめると、量も指通りもそっくりで。ちょっと、自分の髪を洗うような感覚だった。


日頃は、気持ちの整理のためにも、出会う人たちに対する想像はお見送りの現場でのみにして、家に帰れば切り替えていた。けれど、その日はざわざわした気持ちが残るまま、帰路についた。

シニヨンをほどいて、シャワーを浴びながら、鏡で自分の黒髪を見る。いつもなら「昔みたいに、好きな色に染めたいなあ」とか思うけど、今日は違った。


「あの人は、自分の黒髪、気に入っていたかな」
「すごく綺麗に手入れされてたな」
「本当は染めたかったり、したかもな」
「きっと、ショートも似合っただろな」

でも彼女は、そう思っていても、できない。髪型だけじゃない、自分の意志でなにかを決めることは、もうない。そう考えているうちに、自分の役割について、ひとつの考え方がゆっくりと生まれた。


「私は、亡くなった人に想いを馳せることができる、最後の他人だ」


このとき、鏡に映る自分の黒髪が、やけに輝いて見えた。髪だけじゃなくて、手も、顔の表情も。なぜか、久しぶりにキョウカと飲みたくなった。LINEをすると、すぐに既読がついた。


***


私の髪は、黒い。
黒くて長い、ストレートヘア。
この髪を毎日、シニヨンにまとめて、仕事に出かける。私のことを知らない誰かの、髪を洗って、身体を洗って、最後のお見送りのお手伝いをしに。

「じゃあ、流していきます。湯加減は大丈夫ですか」
「強さいかがでしょう、かゆいところがあれば言ってくださいね」

返事が返ってこなくても、私はこの方に想いを馳せる「最後の他人」。

今でもたまに「好きな髪色にしたいな」と思うこともあるけれど、新しいアイデンティティと誇りを胸に、今日もこの黒髪と、生きていく。

文:しまだあや  写真:生瀬明日香  イラストレーター:

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