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大企業の1万分の1になるか。中小企業の90分の1になるか。何者でもなかった20代の決断と夢の帰着|insight into Milbon

ROOTS | 2019.02.26

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僕は、何も持ってないんですよ。この会社の中でも特に何も持ってない。

整然とした社長室で話すのは、ミルボンの代表取締役社長佐藤龍二。2008年から現職に就き10年を迎えた。社長とは一体どんな人がなるのだろう?

「僕は、血縁関係も大卒の切符も持っていない。その上、中途採用。本当に何も持っていないんです」

話す姿は、軽やかだ。何者でもない一兵卒が社長になるなんて可能なのだろうか? それも新陳代謝の激しい美容という世界で――。

大企業で見た壁と原点 小さいことは、逆に夢がある

基地の街、佐世保。この地で生まれ育った佐藤少年は、大阪万博が開催される前から「海外の人」に囲まれて育った。そのため「いろんな国の人に会える仕事に就きたい」と幼き日から漠然と夢を抱いていた。親の勧めもあり、長崎の高等専門学校に進学するが――

入り口はいろいろある。でも出口は天職にすればいい。これは若い方によく言うことです。僕は、もともと美容業界に興味があったわけではなく、世界中を飛び回っていろんな人とコミュニケーションを取る仕事に就きたかったんです。例えば、新聞記者とか。

でも、結局、新卒で入社したのは大手製薬会社。それも高等専門学校卒だったので、総合職採用ですらない。当時、1980年になろうとしてるころでしたから、何より就職に強い高専に親が願書を書いて受かってしまった。今思えば「大卒」切符をこのとき失ってしまったんですね。

でも、一度会社に入り込めば営業職になれるチャンスはあるかと思ったんです。しっかり実績を積めば営業職になれるのではないか……。目算があったのですが、現実はそう甘くない。大企業だと越えられない壁があるんです。

大卒の切符を持っていないとスタート地点にも立てない。これは大企業という世界のしきたりでした。

結局、この企業の中では自分が望む仕事にはつけないと考えてやめてしまったんです。入社して2年も経っていなかったから、母校の先生に心配されまして(笑)。ずっと無職でいるわけにもいかず、どうしようかと思っていたところ、その母校の先生が「2つの会社の人事の方を知っているから紹介できる。どちらかなら入れてもらえるかも」と提案してくれたんです。

ひとつはIT系の大企業、もうひとつがミルボンでした。

ミルボン? まだ誰も知らない会社。当時は社員数90名ぐらい。中小というか、零細企業に近かったと思います。

会社の規模と自分の存在価値って反比例するんですよね。製薬会社で「大きな組織ほど自分の裁量は減る」ことを経験していたので、このどうしようもない事実を痛感していました。

1万人社員がいる大企業だと、僕は1万分の1の存在価値しかない。ミルボンだったら90分の1。90分の1になった方が、自分として仕事ができそう。 そう思って、ミルボンに飛び込みました。強い意志があったわけではない。でもそれでいいんです。

悶々として仕事をこなす毎日。社長とのふとした会話で見えた未来

自分の力で仕事ができる中小企業へ職したものの、「やめたい」と思う日が続く。自分はこんな仕事がしたいと上司に掛け合っても、返ってくる答えは「まだ早い」だった。そんな中、社長とのふとした会話で活路を見出した。

楽観的な気持ちで入社したものの……ミルボンに入って2年間、正直やめようと思う日々が続きました。

最初に配属されたのが、パーマをかける時に使うロッドとローラーの2つだけを売る営業部。上司と僕の2人チームでロッドとローラーを持って問屋さんを回る仕事でした。お客さんは、サロンではなく問屋。商品を使ってくれる人と距離が遠く……誰に売っているんだろうと。いつまでこの仕事をやらないといけないのかと悶々としてましたね。

それに、どちらかと言うと化粧品の方が売りやすい。何度も異動を打診したのですが「まだ早い」と言われまして。翌年も同じ部署の営業配属。「またか」と。

しかも、東京の転勤になってしまって。せっかく友だちもできたし、大阪にいたいと希望を出していたんですけれどね(笑)。

やめようかな、と思っていた矢先、本社でとある部署を発見したんです。「外国課」というよくわからない名前の部署。当時はまだ1980年代初頭。中小企業が「外国」なんて考えられない時代でした。

ちょうどその時、社長がいたものだから「この”外国課”ってどんな部署なんですか?」と聞いてみたんです。返ってきた答えはこうでした。

「今の時代、”外国課”という部署がないと、就活生が興味を持ってくれないんだよ」

驚きますよね。だって、当時ミルボンで海外事業は全然売上も上がっていなかったんです。でも、社長はこう続けます。

「今は、注目を集めるための部署でしかないのだけれど、将来は本当にビジネスの重点をおきたいと考えているんだよ」

この話を聞いた時、この会社には夢があると思えたんです。不思議ですよね。幼い日に漠然と考えていた「海外でも仕事がしたい」という可能性を見つけてしまったんです。

目先の仕事は、正直面白くない。入社してから何度も退職したいと思いました。でも、社長との何気ない会話で、僕の夢の先を……ミルボンにはその可能性があると確信してしまったんです。

営業時代に学んだ「清濁併せ呑む」

仕事が楽しいと思えるようになったのは、代理店営業として数年経ったぐらいでした。当初、ミルボンの知名度は業界でも低く、なかなか取り合ってもらえませんでした。

平日にお客さんのところに行っても、もっと有名なメーカーの方が優遇されてしまう。あえて土曜日に顔をだすようにすると不思議なことに売上があがった。考え方、やり方を変えれば相手も向き合ってくれる。現場に行くとわかることは本当にたくさんあります。

ただ、「わかってくる」と一線を踏み越えてしまうこともあるんですね。美容室のオーナーさんと喧嘩をして商品をまるごと返品されたこともありました。僕は、営業として正しいアドバイスをしたつもりだったのですが、正論は必ずしも相手のためにならない。「こんなミルボンとは付き合いたくない」と……。

「清濁併せ呑む」。これを体感した出来事でした。正しいから生きられるわけではない。濁ってしまってもダメ。清濁の間に人間の性がある。美容市場の面白さを知ったのは、間違いなく営業時代の10年でした。

でもある日突然、社長から「商品企画のマーケティングに行くように」と言われるんです。僕は、大学で勉強したわけでもないのにと不安がっていたのですが…「新商品を企画する時に5つ打ったら、1つ当てればいい。プロ野球選手だって2割打つと『そこそこ』と言われるでしょう?」と社長に言われまして。

それも口説き文句で、実際仕事につくと「5つ企画したら4つ当てないと」と言われるようになって驚きました(笑)。でも、切羽詰まると人間はどんなことでも学習していくんですよね。2年ほど経って、ようやく企画になれてきたときに、時代が味方してくれました。

90年代、美容市場は一変した

90年代になると、団塊ジュニアと呼ばれるボリュームゾーンの世代が消費の中心を担うようになりました。

それまで、日本の美容室は「欧米」を見ていたものの、団塊ジュニアの人たちは「架空のヨーロッパ」ではなく、「日本人としてきれいでありたい」と思うようになるんです。

ミルボンでもこの風潮に則って、1993年に日本人モデルを使ったポスターを展開しました。日本人としての美しさを求める時代になったんです。

2002年からは、新しくヘアカラーが美容室メニューのスタンダードになっていきます。若いうちはファッションカラー。年齢が上がるとグレイカラー。ヘアカラーは幅広い層のニーズを掴めるんです。人口動態から時代を先読みして、業績を伸ばしていったのが90年代からの20年だったと思います。

人口動態を見て戦略を立てる。これは営業時代からなんとなく立てていた仮説でした。やっぱり現場を見ていると、うっすら見えてくるものがあるんです。それを企画・マーケティングという立場になった時に、本格的に実証に移した。

ちょうど上場のタイミングだったので、社長に自分が作ったマーケティング資料を渡して、都度相談して戦略を決めました。ミルボンがこれからひとつ上のフェーズになっていくときに絶対に役に立つと思って。


僕個人の話をすると、2002年に夢の先を掴んだような契機がありました。『ネクストプレゼンツ』―美容の価値と未来をテーマにしたメッセージイベントを企画・実施した後、その視野観からか、「中国の市場を見てきて欲しい」といきなり言われたんです。国際課など、もっと適役がいる気もしたのですが、「出張してみて意見を言いなさい」と言われまして。「アジアに進出したほうが良い」と報告したら「じゃあ、きみがやるんだ」と。

2008年に上海、2009年に韓国に拠点をおいて……。2010年にグローバル宣言、全社員に本格的な世界展開構想を発表しました。この海外展開の数年をまたいで、鴻池社長から僕にバトンが渡りました。

新入社員時代……もっと幼い頃からの夢が帰着したのかもしれません。

変わっていく美容市場のこれから

2000年代に入ってから、美容市場は変化の時代だったと思います。美容室が個から組織的になって、増えていった。

僕たちは人口動態を見て戦略を考えていますが、2030年までには一人世帯がものすごく増える。一人になった時、SNS・デジタル時代であるが故に、誰かとリアルコミュニケーションをとりたくなるでしょう? 美容室はこれから、心のゆとりまでも提供していく場所になっていくんだと思います。今まではどこか非日常的な、若くてきらびやかなイメージが強かったかもしれません。これからは、日常に寄り添うような存在になっていくのではないかと思います。

そこで、10数年考え続けてきた化粧品事業をスタートさせました。毎日使うヘアケア、スキンケアまで美容室がプロデュースできたら、と。ですが、化粧品事業は市場が広く、ミルボンの現状の認知度だとなかなか難しい。我々は美容業界に向けた製品を作ってきたわけですが、一般の方までを含めた視点で展開をしていかないといけない。

パートナーを数年かけて探していたところ、コーセーさんと出会い、小林一俊社長と化粧品メーカーの未来を語り合いました。そして、
水面下で話を進め、資本業務提携をリリースしました。それが2017年のことです。

美容室は、コンビニよりもはるかに店舗数が多いです。小売の場所としてはとても強い。美容室という場所は、カットやカラーなどの技術を売るのではなく「きれい」を売る場所になってほしい。一人世帯が増え個人化が進む生活の中で、美容師さんと話をして心のケアをする。そして悩みをよく知った美容師さんが選んだケア商品を買う。毎日寄り添う美しさを提供するのがこれからの美容室のあり方だと思います。

それが、世界に向けて発信できたら……もう少し夢を見ていたい。実現に向かいたいと思っています。


取材・執筆:嘉島唯
写真:ミネシンゴ

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