HAIR DESIGNER

大阪・東京経由、クアラルンプール行き。美容師の仕事が最高にかっこいいことを証明するために。

HAIR DESIGNER | 2019.04.16

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東京、クアラルンプール、シンガポールの三都市で7店舗もの店舗を構える美容室『Number 76』の代表・浜口大介さん。「美容師が世界でいちばんの職業であるということを証明したい」——そんな熱い想いを胸に美容業界で活躍してきた浜口さんが初の海外店を開いたのは2011年のこと。今や東南アジアのファッショニスタならば知らぬ人はいないほどの有名店となった『Number 76』の成功の秘訣、そして、浜口さんがイメージする美容業界の新たなスタンダードについて話を訊いた。

<プロフィール>
浜口大介(はまぐち・だいすけ)
1996年にアクア原宿店に入店。2001年11月に独立。南青山に『Hair Salon NALU』をオープン。2003年に表参道に移転。カフェ『76CAFE』を併設。2011年1月1日、クアラルンプールに初の海外店舗である『Number 76』をオープン。現在、日本に1店舗、マレーシアに5店舗、シンガポールに1店舗、直営店を運営している。

——浜口さんは、もともと、『ACQUA』に勤められていたそうですね。その後、独立されて『Hair Salon NALU』をオープンされて。そもそもなぜ、海外に活動の場を広げようと思われたんでしょうか?

 実は海外に行きたいと思ったのも、その頃の経験がきっかけで。やっぱりすごく有名なサロンだったので、海外のスタイリストさんたちと交わる機会も多々あって、刺激を受けてたんです。それで、海外、特にアジアの美容のシーンをもっと盛り上げていきたいなと思うようになって。
 あと、もう一つ海外に行きたいと思った理由は、当時、日本で自分がやってた講習に来ていた海外のスタイリストさんたちの熱心さですね。本当に国を背負うぐらいの勢いで、学び取ろうとしていて。それに応えたいな、と。

——欧米ではなく、東南アジアで……というのはなぜだったんでしょうか?

 最初は確かに、欧米志向はあったんです。ブロンドの髪の毛で作るスタイルの方が業界への影響力もあるし、カッコいいと思ってたんですね。でも、milbonさんの紹介でアメリカで活躍されているスタイリストさんとお会いする機会があって。その方とお話しさせていただいた時に自分が求めるものは、欧米にはないのかもしれないな……って気づいたんです。

——というのは、どういう部分に差異を感じたのでしょうか?

 僕が求めていたものは、印象的なスタイルを発信していくというところもそうですけど、それ以上にどうやったら美容業界が盛り上がるのか、そして、未来を担っていける人材を育てられるのかっていうところだったんですね。
 欧米で活躍されている方々は、すでに出来上がっている業界でどのように個人が闘っていけるか、成り上がっていけるのかという部分で勝負されているような感じがして。僕が本当にやりたいサロンが、とか、後進の教育が、っていうところまで考えが及ぶような場所じゃないような気がしたんです。
 だったら、アジアのようにまだルールもレギュレーションもないところで、新しい枠組みを作ったり、熱心なスタッフと喜びを共有することに挑戦してみたいなって思うようになって。

——ご自身の目的意識が違ったということですね。

 そうですね。今の自分があるのは、いろんな教育を受けさせていただいたからだという意識が強く自分の中にあるので、自分も恩返ししたいって気持ちが強くあったんです。あと、自分の技術でクリエイティヴィティの部分で誰の力も借りずに欧米で個人を表に出して勝負できるとはどうしても思えなくて。テクニックがすごい人たちは今まで山ほどみてきましたからね(笑)。

——美容にかける熱い思いというのはどこが原点なんでしょうか?

 阪神淡路大震災ですね。当時、僕は地元の神戸の商店街にあるサロンに勤めていたんですけど、例に漏れず被災して。自宅も倒壊しちゃったので、体育館からサロンに通いながらいらっしゃるお客様の髪を切っていたんですね。でも、なんていうか、髪を切ることって生きるか死ぬかにはあんまり関係ないことだな、俺がやってることってなんなんだろうみたいな無力感にも取り憑かれていたんです。俺、何やってんだろうな、って。
 ある時、来てくれたお客さまとまだ壊れかけの店内で髪を切りながら何気なく「いやぁ、大変ですよねぇ」みたいな話をしてたんですね。そしたら、その方が「息子が2人とも死んじゃってね」って、仰って。僕、何にも言えなくなっちゃったんですよ。でも、帰り際に「お兄ちゃん、ありがとう。髪切ってもらったら、なんか、気分転換になったわ!」って言葉をかけてくださって。
 その経験がずっと心に残っていて。「美容師っていい仕事だな」って思えたんです。自分が感じた気持ちをもっと多くの人に広めたいって思った時に、このままじゃダメだと思って、東京に出て来ました。

——なるほど。なんでもお話では、夏休みを利用して『ACQUA』に飛び込みで行かれたとか。

 そうなんです(笑)。フロントに行ったら当たり前だけど「予約もないのに無理です!」って最初は言われて。でも、まだ若いから「せっかく大阪から来たんだから切ってくださいよ〜」ってゴネたんです(笑)。アロハシャツに切るとこないような短髪で、相当ガラ悪かったと思う(笑)。そしたら、その様子をみかねた綾小路(竹千代)さん(編注:90年代の代表格とも言える、伝説的な美容師)が「他のお客さんに迷惑だから、切っちゃうよ。入れてあげて」って入れてくださったんです。
 席に着くなり「君、美容師さんでしょ?」って言われて。「なんでわかったんですか?」って聞いたら「そんな格好でこの時間に来るサラリーマンいないよ」って笑われました。それで「これから、どうしたいの?」って聞かれたんで、「俺、美容師って仕事が世界でいちばん素敵な職業だってことを証明したいんですよ」って言ったんですね。それが綾小路さんにハマったみたいで、そのまま面接担当の方に「こいつ面白いから、面接してみてよ!」って紹介してくださって。
 今考えてみれば、鳥肌が立つ経験ですよね。当時、『ACQUA』って言ったら、入りたくても入れないようなサロンですから、それをすべてのプロセスをすっ飛ばして、アシスタントとして勤めることになったんです(笑)。

——本当にすごい話ですね……。その後、5年間、『ACQUA』には在籍されて。その後、26歳で独立されて『Hair Salon NALU』をオープンされるわけですよね。その後、2011年に初の海外店舗をオープンするわけですが、クアラルンプールという場所を選ばれたのはなぜだったのでしょうか?

実はオープンに先駆けて、二年間ぐらいは日本とこっちを行き来しながら、実際に暮らして、色々リサーチしてました。本当にいけるのかとか、スタッフを送っても安全なのかとかね。マレーシアという場所を選んだのは、消去法ですね。新たな言語を学ぶのはやっぱりハードルが高いから、英語が通じる場所がいいな、と。親日国でしたし、milbonも進出していたので、安心感が高かった。
 香港とシンガポールも考えたんですけど、お金の問題で諦めました。物価が高すぎて、シャンプー台を2〜3個作るだけで資金が全部消えちゃうって思って(笑)。クアラルンプールは、物価も安いし、あと、当時はビジネス的なライバルがいなかったんですね。ライバルがいると自分たちがやりたいことよりも、やるべきことの方を優先しなきゃいけなくなっちゃうから。そうじゃない場所で最初はやりたいなと思って、ここにしました。

——実際に店舗を開かれて、何か日本との違いのようなものは感じましたか?

 すでにオープンの時点で2年ぐらい住んでいたので、あまり驚きというような驚きは特になかったんですが、やっぱりトレンドの部分では日本との違いをすごく意識しましたね。多国籍国家なので、日本と違って、マスメディアがあるというよりはメディア自体が細分化しているんですね。なので、明確なトレンドがないんです。お客様が次のスタイルを求められるときに、何が提案できるのかっていうことは、今考えればかなり苦労したところではありますね。「なんかいい感じにして」って言われることがとにかく多いので(笑)。

——なるほど。実際、そこで大きな経験を得られたわけですか?

 僕が海外に出て、明確にスキルアップができたなって思えたことがあるとすれば、やっぱり提案力ですね。言葉が通じないと言うことで、ミスしちゃいけないとか、タブーを犯しちゃいけないとか思って色々お客さんに聞くんだけど、彼らはそんなこと求めてないんですよ。自分たちが想像すらしていなかったものを提供してほしくて、サロンに来るわけですから。
 日本で学んだこととか、価値観とか美容のスタイルをリセットして、その人をパッと見て思ったことを恐れずにやってみる。日本だと、ミスすると大変なことになりますけど、こっちだと「まぁ、次は違うスタイルでいきましょうか」って結構カジュアルな感じなんで。この世の終わりみたいなことにはならない(笑)。でも、それはお客さんとスタイリストの信頼関係によるものですけどね。

——サロンを運営していく上で、具体的に何か工夫されたことはありますか?

 やっぱりスタイリストそれぞれの個人発信を充実させていくというところですね。サロン自体のブランディングも大事なんですけど、お客様たちはやっぱりスタイリストのSNSとかをみて指名してくださるってケースがすごく多いんです。でも、欧米式と明確に違うのは、サロンでスタイリストのサポートと教育をしっかりしているということですね。勉強会を開いて技術や知識をシェアして、一定のレベルを維持していくということを徹底しています。

——でも、個人に注目が集まると、やっぱりすぐに独立とかそういうことに結びついていくのかな、と、勝手ながら思ってしまうのですが。どうやって、技術をクローズドにしないという空気を醸成したのでしょうか?

 それは、いろんな方に聞かれましたね(笑)。一言で言うのは難しいんですけど……やっぱり積み重ねですかね。所属しているスタイリストたちは現地でリクルートした生え抜きが多いですし、日本や欧米のサロンと同じように試験を受けてからじゃないとスタイリストとしてフロアには出れませんから。そういう部分で、スタイリストにはサロン自体にリスペクトを持ってもらってるんだと思います。
 独立する人ももちろんいるんですけど、やっぱり自分で自分のお店を持つと現実に直面するんですね。僕らは目に見えないところにお金をすごくかけていて、サロンがスタイリストをサポートできるようにしている。スタイリストが働きやすい環境を作っていくことが何よりも大事ですね。「ここで働くのが一番、やりたいことができるし、お金も稼ぐことができる」って思ってもらえるように。逆に言うと、それが自分でできると思ったなら、独立すればいいと思うんですよね。

——なるほど。お客様に対してのアプローチは最初の頃は大変だったと思うんですが、どのように集客はされたのでしょうか?

 日本も海外も憧れている人たちが行っているサロンに行きたいと言う気持ちは変わらないですから。マスメディアがないとは言っても、人々は情報をネットなりなんなりで得ているので。最初は、積極的にこちらで有名な方々にコンタクトをとって、サロンに実際に来ていただいていましたね。それで気に入ったら、ご自身のブログなりSNSなりで発信してくださいと言うのをお願いして。こう言う手法って実はこっちでは当時は珍しかったらしいんですよ。
 SNSをうまく利用するっていうこともかなり試行錯誤しながらトライしました。最初はやっぱり欧米式の個人が目立つあり方には少し抵抗がありましたし、自分たちのサロンが認めたスタイルだけを発信していきたいって言う思いがあったんで。でも、それって僕たちは日本の価値観でしか判断が付いてないわけですよね。こっちにはこっちの価値観があって、それはもっと幅広いものなんです。あり得ないだろって思う刈り上げやカラーも別にOKだったりする。
 なので、スタイリストの個人のSNSで発信している情報を手当たり次第に僕らの公式のアカウントでも拡散して、とにかく子どもから大人まで本当に多種多様なヘア・スタイルができるんだということを広めました。
 面白かったのは、そう言うことを公式を絡めてやると普通は「このサロンに行きたい!」っていうフリーのお客さんが増えるはずなんだけど、そうはならずに指名がとにかく増えたんですね。そのとき、お客様は「この人に切ってもらいたい」って思って、来ていることに気づいて。最初は割とガチガチにルールを決めてたんですけど、それ以降はスタイリストにはゆるくどんな情報でも載せていいよって方針に転換しました。人の魅力で勝負する方向になったというか。

——スタイリストにとっても、サロンにとってもWin-Winの関係が築けたと。

 そうですね。でも、やっぱり僕らのサロンに勤めたいっていって来てくれる子たちの多くは教育制度に惹かれているんだと思います。お金をもらって、技術を身につけられる環境ってなかなかないので。

——次に目指す部分も、やはり「教育」ということになるのでしょうか?

 はい、やっぱりこちらでアカデミーを開きたいというのが次の目標です。でも、その前に教わる側としてもやっぱり、国でいちばんのサロンが何をやっているのかを知りたいじゃないですか? だから、もっともっと有名なサロンになりたいなとは思ってますね。僕らが考えているビジネスや美容のあり方がマレーシアの次のスタンダードになっていったらいいなって思ってます。
 近い目標でいうと、海外進出10年目の2021年以降はフランチャイズのような形でも店舗を増やしていけたらいいな、と。毎年、リクルートはしているので人は増えてるんですけど、直営店の数は増やしていなくて。そうなると人があぶれてくるんですよね。何人かはマネージメント要員として育成しつつ、僕らのサロンで育った生え抜きじゃない方にもお店を持ってもらって、そこでスタイリストたちには活躍してもらうっていう方向性にできたらな、と。

——お話伺って、浜口さんは、本当に神戸で美容師をやってらっしゃった頃から全くブレてらっしゃらないんだなということがよくわかりました。

 そうですか(笑)? いやぁ、でも、振り返ってみると本当にラッキーだったなって思いますよ。僕らのサロンで働いている何割かの人が、そういう偶然みたいなもので繋がった縁みたいなものを感じてもらえたら嬉しいなって思ってますね。やっぱり、あの震災の時のお客様の言葉とか『ACQUA』での日々を思い出して、勝手に「使命」みたいなものも感じてますしね……どこまでいけるか。ラッキーが続けばいいなって思ってます(笑)。




写真・編集 : ミネシンゴ
取材・文:小田部仁

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