SALON MODEL

週3でネカフェ生活。ハーフモデルが学校をやめてSNSタレントを目指す理由

サロンモデル、通称サロモ。美容師と作品づくりをするパートナーとして必要不可欠な存在だ。多くのサロモたちが所属する『Coupe』には、経歴、職種、十人十色の人生観をもったサロモたちがいる。

今回紹介するのは、神奈川在住・19歳のサミラさん。イラン×ロシアの父と、日本人の母を持つハーフ(ミックス)だ。薄茶色の大きな瞳が印象的で、目には力強さと柔らかさ、そして少しだけ気だるさがあり、それが色気になっている。話せばよく笑い、感情をストレートに出すタイプで、裏表がない。礼儀正しくて、19歳にしては大人びているかもしれない。

高校2年生まで、地元の1000円カットでしか髪を切ったことがなかった

サミラさんが美容に興味を持つようになったのは最近のことだ。

高校2年生まで、地元の1000円カットでしか髪を切ったことがなかった。しかしその頃にメイクを覚えると、髪の毛にも意識が向かった。ネットで検索して、なんとなく気になった東京のサロンを予約してみた。それが表参道の『THEATER』(シアター)だった。『THEATER』は表参道や南青山をはじめ、全6店舗をかまえる人気サロンだ。コンセプトは「都会のいけてる女子をプロデュース」すること。

お店に入った瞬間、サミラさんは圧倒された。

「あまりにも洗練されていて、“やばい、わたしが来るような場所じゃない”って焦りました。でもその時、たまたまモデルさんが撮影をしていて」

そこでサロモというものがあることを知った。サミラさんにとって、それはひとつの大きな驚きだった。自分はスタイルには自信がない。だからモデルなんて遠い別世界の話だと思っていた。でも、サロモだったらできるかもしれない。

……だけど、サロモって、いったいどうやったらなれるんだろう? 

コネも知識もなかったサミラさんは、とりあえず「サロモ なり方」で検索してみることにした。すると『Coupe』がヒットした。ウェブサイトを見ていると、サロモというものがすごく楽しそうに思えてきた。すぐに応募してみた。しかし、結果は不合格。

「自分を変えなきゃいけないと強く思いました。いまより15キロくらい太っていたので、必死でダイエットして、痩せてからもう一度応募しました」

※当時の写真

それが高校3年の夏だった。2度目のトライで合格。

だが、この時点ではまだ、サミラさんの物語ははじまっていない。運命は突然やってくる。彼女の場合、それはサロモになって1年後のことだった。


「インスタを消すか、学校をやめるか、選びなさい」

高校卒業後、サミラさんは看護学校に進学した。母親が健康運動指導士だったこともあり、もともとは看護師を目指していたのだった。学校に通いながら、空いた時間でサロモとしての活動をはじめた。勉強との両立は大変だったが、撮影は楽しく、やりがいを感じた。サロモだったら誰もが憧れる雑誌『ar』にもサロモを始めて半年ほどで載り、「これが本当にやりたかったことなのかもしれない」、そう思った。撮影依頼は少しずつ増えはじめ、学校の忙しさと重なり日中の撮影依頼はほぼ断る状況になっていく。

しかし、その時はふいに訪れた。看護学校1年の夏、学校の事務局に呼び出された。

指定された場所へ向かうと、3~4人の先生たちが待っていた。なぜだかみんな、硬い表情をしている。重苦しく張りつめた空気。机の上には分厚い資料が置いてあった。サミラさんのインスタグラムのページが印刷されたものだった。「学校バレ」というやつである。

「サミラさん。あなたが将来この道(サロモ)で有名になることを望んでいるのなら、それはいずれ患者さんにもバレるでしょう。そうなったら病院にも迷惑がかかる。わかるよね? だから、インスタを消すか、学校を辞めるか、どちらか選びなさい」

ほとんど脅迫に近いように思えるが、おそらくこの学校では、広い意味での芸能活動が禁止されていたか、少なくとも奨励されていなかったのだろう(誤解がないように付け加えておくと、サロモと看護学生を両立しているモデルはたくさんいる)。

サロモか? 看護学生か? 

いや、正確には、悩まなかった。自分の心が「サロモだ」と言っている。本当にやりたいことはこれだと言っている。しかし学費は親に出してもらっていた。自分だけで決めることはできない。だいいち、まだ半年しか通っていないのだ。

サミラさんは父親に相談してみた。すると、こんな答えが返ってきた。

「一度しかない自分の人生なんだから、好きなことをやって、悔いのない時間をすごした方がいい」

父の言葉に背中を押され、即日、退学届を提出した。

週3でネットカフェに寝泊まり

学校をやめて時間ができたサミラさんは、撮影のペースをぐっとあげた。現在は月に35件も依頼を受ける。東京での撮影が多いため、家に帰れない日も多い。そんな時はネットカフェに泊まる。一番忙しかった週は、3日ほどネットカフェ生活だという。

週3でネットカフェに寝泊まり……と聞くと、かなり厳しい生活を強いられているようにも思えるが、本人はその状況を楽しんでいるようだ。「最近のネカフェってすごいんですよ!」と力説する。

「安いし、快適だし、プライバシーも守られている。ホテルとそんなに変わらないと思います。おすすめのネカフェはたくさんあるけど、『快活CLUB』は、女性専用エリアがすごく良い匂いなので好きです。あとは『グランサイバーカフェ バグース』。ソフトクリームが2〜3種類食べ放題だし、値段もお手頃。ただ、多くの店舗が繁華街の中心にあるから、あんまり遅い時間には行かないようにしています。いちばんよく行くのは『カスタマカフェ』。いつも使ってる店舗は全席個室で、配信がやりやすいんです」

「ライバー」としての才能が開花

「配信」とは、スマホを使ったライブ配信のことだ。

“ライバー”と呼ばれる配信者たちは、“ポスト・ユーチューバー”として注目を集めている。手軽に配信者の姿が生中継で見られ、まるで配信者が直接話しかけてくるような感覚が魅力だ。広告ではなく視聴者からの投げ銭で収入を得ていることも特徴。ライバーのなかには、月に数百万円稼ぐ人もいるという。サミラさんは、サロモをはじめてからライバーとしても活動するようになった。

「サロモだけじゃなくて、他の個性がないと輝かないと思ったから」

学校をやめてから、ライブ配信の時間も増やした。以前は1日30分程度だったが、現在は最低でも毎日2時間は配信する。朝起きて配信し、移動時間に配信し、夜眠る前にも配信する。フォロワーは少しずつ増え、ライブアプリ『17 LIVE』(イチナナライブ)では同時視聴1万5千人を達成。オススメ欄にピックアップされるようにもなった。『17 LIVE』のほかに、『MixChannel』(ミクチャ)でも公式ライバーとして活躍する。ライバーとしてのサミラさんの才能は、次第に開花されつつある。

「SNSを使って有名になりたい。自分が本当に好きなことをやった方が人生は楽しいということを、多くの人に伝えたいんです」

サロモとライバーのふたつの軸ができたことによって、生活は看護学生時代よりも忙しくなった。それでも、大変だとは思わない。

「いまは好きなことしかやっていないから。好きじゃないことをしている時間はもったいない」

たしかにそれはそうだ。しかし、誰もがサミラさんのように頑張れるわけではない。なぜ頑張れるのだろうか? 彼女の根本には、「人生あっという間」と語る父親の影響があった。

「好きなことをやれずに死んでいく人もいる」

「お父さんは、14歳の頃から約4年間、軍隊に行って戦争を経験しているんです。当時はイラン・イラク戦争の時代でした。その時に、まわりの友だちはみんな命を落としてしまったそうです。目の前で友だちが次々と撃たれて倒れていく。そういう話を聞くと、やっぱり考えてしまう。実際に経験した人の言葉には独特の重みがありますよね」

学校をやめる際にサポートしてくれた父の言葉が、サミラさんの人生を後押ししている。

「お父さんは、“好きなことをやれずに命を落とす人もいるんだから、そのぶん自分は好きなことをやるし、サミラもそうした方がいい”と言ってくれます。物心ついた頃から、そういう話をたくさん聞いてきました」

だからこそ、「好きじゃないことをやっている時間はもったいない」。

だって、好きじゃないことをやっているうちに、人生が終わってしまうかもしれないのだから。やりたいことを一生懸命やりつくしている10代のサミラさんからは学べることはたくさんある。19歳の彼女が、東京をかけまわる姿は、まぎれもなく輝いていた。



hair : 石川理恵/bamboo

執筆 : 山田宗太朗
写真・編集 : ミネシンゴ

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