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「楽しいだけでいいの?」サロモという特殊な仕事について、女子大生モデルが考えること
サロンモデル、通称サロモ。美容師と作品づくりをするパートナーとして必要不可欠な存在だ。多くのサロモたちが所属する『Coupe』には、経歴、職種、十人十色の人生観をもったサロモたちがいる。
今回紹介するのは、ナナさん。東京都内の大学に通う20歳で、この春(2019年)から3年生になる。
大学ではおもに英語のライティング・リーディング・コミュニケーション・グラマーなどを学んでいる。国際協力に興味があり、来年からはNGOやNPOの役割について学ぼうと考えている。
本記事の写真ではショートヘアだが、ずっとミディアムロングを維持していた。小松菜奈を彷彿とさせるアンニュイなハーフ顔と白い肌には、黒髪がよく映える。
「髪切ったとたん、ホラン千秋さんに似てるって言われるようになったんですけど、似てますか?」
ナナさんは、静岡県にある典型的な地方都市で生まれ育った。海と山とお茶畑に囲まれていて、空がとても広い。
「窓から外を見ると、半分以上が空なんです。朝は鳥の鳴き声で起きます。東京では鳥の声が聞こえないから、いつまでも寝ちゃう(笑)」
兄の影響でサッカー好きになった。物心ついた頃から、家の庭で兄とボールを蹴って遊んでいたという。女子サッカー部がなかったため本格的にトレーニングしたことはないが、中学は陸上部、高校はテニス部と、常にスポーツとともに生きてきた。
そんなナナさんが、ファッションに興味を持ち始めたのは小学5年生の頃だった。
iPhoneを手にして広がった世界
「母が地元の服屋さんで黒いトレーナーを買ってきてくれたんです。それが、すごくかわいくて。ファッションに目覚めた瞬間でした。中学生になって『non-no』を読むようになって、さらにハマっていきました」
転機が訪れたのは中学3年の頃。iPhoneを手に入れたことで、都会のあらゆる情報にアクセスできるようになった。静岡にいながらにして、好きなモデルが日々どんなことをしているのかさえ知ることができる。
「“東京”というものを意識したのは、iPhoneを手に入れたことがきっかけだと思います。一気に世界が広がりました。それからだんだんと、ファッションの中心地である東京に憧れを持つようになったんです。でも、まわりは体育会系の人が多かったから、同じ趣味を持つ友だちがなかなかできませんでした。高校2年生でおしゃれ好きの友だちができるまでは、ひとりiPhoneで検索する日々でした」
情報やカルチャーに対して、つねに飢えのような感覚を抱いていた。その飢えを満たすため、高校卒業後に上京。ファッションに対する「知りたい!」という想いがモチベーションだった。
そして東京で初めて入った美容院で、担当してくれた美容師に、サロンモデルになることを提案された。
変わっていく自分がすごく新鮮で、たのしかった
しかし、はじめはその提案を断ったという。
「自分が被写体になるなんて考えたこともなかったんです。モデルというのはわたしにとって、なるものではなく、見るものだったから」
とはいえ、東京生活を続けるうち、街でモデルハントをしている美容師たちから声をかけられるようになった。断り続けていたが、次第に「やってみようかな」という気持ちが芽生えてきた。
半年後、ナナさんは最初に声をかけてくれた美容師に連絡していた。
「初めてメイクやヘアセットをしてもらって感動しました。鏡の前にきれいな自分がいる、それだけでもすごくワクワクしたのに、写真を撮ってもらえる。できあがった作品を見て、これが本当に自分?って驚きました。変わっていく自分がすごく新鮮で、たのしかったんです」
インスタグラムのアカウントを開設し、本格的にサロモとして活動するようになった。
ちょうどその頃、SNSで偶然、Coupeを見つけた。ウェブサイトを見て、すぐに応募。書類審査・面接・カメラテストを経て、その場で合格。初めてのサロモ体験から2ヶ月も経たないうちに、Coupe所属のモデルになっていた。
それから1年が経つ。現在ナナさんは大学へ通いながら、月に8~10本ほど撮影している。ただし無理はしない。あくまでも学業を優先し、テスト前などは撮影を入れず、夏休みや春休みに撮影本数を増やす。
サロモの仕事はとても楽しい。美容師の個性によってメイクもヘアもまったく異なるから、いつも違う自分に会える。だから、しんどいと思ったことは一度もない。ナナさんは嬉しそうに語る。
でも、楽しいだけでいいんだろうか?
だが、サロモの責任のあり方については考えるところもある。
「美容師さんはお金を払ってわたしたちを呼んでくださっているし、作品ひとつでお客さんが増えるかもしれないですよね。でも、こちらはプロとしてサロモ1本で生活しているわけではないし、事務所とのあいだで厳しい契約があるわけでもない。責任があるはずなのに本業としてやっているわけではないというのは、すごく特殊な責任感のあり方だと思います。いわば、プロとアマのはざまにいるのがほとんどのサロンモデル。それでいいんだろうか?という葛藤があるんです」
そうした葛藤は、撮影本数を増やせば増やすほど大きくなった。自分は中途半端な仕事をしていないだろうか? 楽しさと責任感のあいだで揺れながら、日々の撮影に臨んでいるという。
問いを持つのは難しいことだ。そして、一度生まれた問いを持ち続けるのはさらに難しい。何事も、楽しい面だけを見ていられたらラクだろう。しかしナナさんは問い続ける。サロモの仕事とは? 価値とは? 責任とは?
簡単に答えが出る問いではない。しかし考えることをやめてしまえば、成長や改善はない。
だから、現状の自分には満足していない。サロモとしての自分は、自分が求めているレベルに全然達していないと感じている。
「他のモデルさんたちと比べると、表情もポージングも見せ方も、わたしには足りない要素が多すぎるんです。それらをひとつずつクリアしていっても、きっと満点にはならないと思う。モデルには終わりがないと、はっきり思います」
このように問いを持ち続けて考え続けるストイックな姿勢が、きっと多くの美容師を惹きつけるのだろう。
「しばらくはサロモを続けつつ、残りの大学生活で、この先どんな人生を歩むかを考えるつもりです」
では、彼女はこれから何になろうとしているのか?
検索しても見つからない自分の「夢」
記憶に残っている最初の夢は、保育士になることだった。まだ自分が保育園児だった頃から、年下の子の世話をすることが大好きだったという。しかし現在は、夢と言えるほどの夢がない。
「成長していく過程で、アナウンサーに憧れを抱いたり、教師になることを考えたりもしました。でも夢は少しずつ変わっていきました。やりたいことって、何かを知るたびに少しずつ変わりませんか?」
ではモデルはどうか?と聞くと、「職業としてモデルで食べていくことは、今のところ現実感が持てない」と答える。
「夢と就職が直接結びつくとは限らない。もっと現実的に、自分がこれからどう生きていけるかを考えてしまいます」
iPhoneを手にしたことで好きなものに近付き、情報やカルチャーへの飢えは満たすことができた。しかし、自分の夢だけは検索しても見つからない。この人生で何をなすべきかという答えにはたどり着かない。
「夢を見つけることが今の夢で、少し焦っています」
20歳の若者が、何を焦る必要があるのだろうか? 若者には未来があり、無限の可能性があるのに……と思いそうになるが、問いを立てながら生きる人にとって、こんな使い古された定型句には何の価値もない。
じつはナナさんは、ある時期から、人生の終わりを明確に意識するようになったという。人生は短く、あっという間に過ぎてしまう。死ぬまでに何をやろうか。そんな焦りが常にあった。
こう考えるようになったのは、高校生の頃。
答えの出ない問いと付き合いながら、生きていく
「祖父母が高齢で、特に祖父は90歳を超えているんです。あまり言葉にしたくないけど、もしかしたらもうすぐ誰かが……という雰囲気を、高校生の頃から感じていました」
ナナさんの祖父は胃ろうを付けている(※直接胃に栄養を入れる栄養投与方法。口から食事を摂れない方や、食べてもむせこんでしまう方などを対象とした医療措置)。
「胃に入れるものは全部自分で選んで測って、ミキサーにかけているんです。もちろん祖母が助けている面もあるけど、基本的には“生きる”ということを自分でしている。救急車に何度も運ばれるような状況でありながら、生きるために頑張っている。その姿を見てきたことが、今の自分の選択や考え方に影響を与えていると思います」
胃ろうは、終末期医療などの議論が盛んになるなか、昨今注目を集めているトピックのひとつだ。胃ろうの詳細については記事の趣旨から外れるので控えるが、いずれにしても、20歳で「胃ろう」という言葉を知っている人はそれほど多くないだろう。
ナナさんは高校生の頃から、こうした現実を自分の目で見て感じて、心に刻んできた。いわば、すぐに答えの出ない問いとずっと付き合ってきたわけだ。
現代に生きるわたしたちは、何においてもすぐに答えを求めてしまう傾向にある。そして、それなりの答えならば、比較的簡単に見つけることもできる。それこそスマホとネットがあれば、たいていのことは何だってわかる。
しかし、簡単に答えを出せるものに、どれほどの価値があるのだろうか?
検索しても見つけられないものこそが、自分にとって真に価値のあるものなのではないか?
彼女はそれを探しながら、今日も大学で学び、撮影へ向かう。
写真:ミネシンゴ
執筆:山田宗太朗