HAIR DESIGNER

直感で生き抜く力が、 昔も今も必要なんだ。|NYサロンレポート

HAIR DESIGNER | 2019.06.26

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昔から、”いま”より先に目標を見つけて、それに向かっていくというのが苦手だった。ときどきインタビューを受ける立場になっても、将来の夢を聞かれるのも目標を聞かれるのも苦手で、わたしはそのとき出来ることを、やりたいことを、流れに身を任せてきた。
「飄々としている」という言葉が似合う今回ご紹介するTakamichiさんも、大きな流れに乗って、何かに導かれて生きているような方だった。きっとそれは、心に灯る強い意志が導いているのだと思う。

Takamichi HairのオーナーTakamichiさんは、18歳で日本を飛び出した。理由をつけてNYに来て、アートからはじめ、美容にたどり着いた。当初興味があまりなかったというものの、現在ではメディアでもたびたび紹介されているSOHOきってのお洒落なサロンを経営し、ほぼ全員現地メンバーの秀逸なスタッフを束ねている。

ベイカー恵利沙(以下Elisa) いつからNYに?

Takamichi 1989年にNYに来ました。子供のときから日本を出たかったんです。

Elisa 日本を出たかった理由は?

Takamichi あまり合わなかったんですよね、小さいときから感じていました。本当は、NYじゃなくてもどこでも良かったんです。NYかロンドンかなあと思っていて、なんとなくNYかなと思って来ました。

Elisa 当時18歳ということは、まだお仕事はしていないですよね。NYに来たときは何をされていたのですか。

Takamichi その当時バンドをやっていて、それを理由にして来ました。音楽やるためにNY行くって。だけど来た時はもう音楽はやってなかったです。笑
まずは英語の勉強のために学校に通っていました。クラスメイトがアートの会社で働き始めて、そこでバイトしないかと誘われて。その後正社員として働かないかと言われ、そのまま2年間働いたんです。なかなか大きな会社だったのですが、会社で働くつもりがあまりなかったので、辞めました。その後、仕事のつながりで出会ったユーゴスラビアのキュレーターの人と1年くらいプロジェクトを一緒にやっていたのですが、お互いのやりたい方向が合わなくて、その後1年間ドイツに行ったんです。

Elisa ここで突然ドイツに行かれるんですね?

Takamichi はい、プロジェクトのあとで、気持ちが少し疲れていて、友人がドイツに帰ったのをきっかけに。

Elisa ドイツでは何をされていたんですか?

Takamichi いえ、とくに何かをしていたわけではなくて、10人くらいのアーティストで一緒に住んでいたんですけど。地下にナイトクラブのようなスペースがあって、みんなでパーティーを開いてました。週末はヨーロッパを回ったり。楽しかったですよ。そのあと約5年ぶりに日本へ一度戻ったんです。
これから何しようかなあと考えていて、またNYに戻ってギャラリーで働いても良いかなと思っていたのですが、ずいぶん前から2人の日本人に、「アートなんて辞めて美容師やろうぜ」と誘われていたんです。でも美容師やりたくなくて、1、2年ずっと断っていたんですけど、NYに戻って美容師やるのもありだな、と。
彼らは80年代のはじめからNYに来ていて、ダウンタウンの音楽シーンのレジェンドたちが来るようなサロンを開いていたんです、『サイレン』という美容室なんですけど。
学校に通ったら店でトレーニング受けさせてあげるって言われたから、嫌だったらやめれば良いし、じゃあとりあえずやってみようかなって。それでNYに戻って、学校に通ってサイレンで働き始めたんです。

Elisa その当時おいくつなんですか?

Takamichi 学校に通い始めたのは、22歳のときです。

Elisa まだまだ若いときですね!  当初美容師をやりたいわけではなかったということですが、最初働き始めたときはどうでしたか?

Takamichi はじめは全然面白くなかったです。アシスタントですから、面白くはない。そのときも、続けるかやめるかずっと迷ってました。4年間アシスタントをしてね。そのあとやっとフロアに立てました。2人だけの小さなサロンだったんだけど、この小さなお店にずっといるイメージが持てなかった。お店を移ろうと思っていたのですが、たまたま歩いていたら「FOR RENT」の看板を見つけて、なぜだかそこが自分のものだと思ったんですよね(笑)。
独立経験もないのに、他のお店に行くのをやめて自分でお店を開くことにしたんです。直感ですよね。分からないけどやってしまおうと思った。

Elisa そのときもう美容師は面白いと感じていたんですか?

Takamichi そのときも、まだ美容師はそんなに面白くなかったけど、お店を開こうと思いました。

Elisa 当時お店を開くことは経済的にも大変だったのでは?

Takamichi その頃のNYはまだすごく安かったんです。家賃も物価も今ほど高くない。こんなに高くなったのはこの10年くらい。工事もデザインもみんな友達が手伝ってくれました。
半年は1人でやってスタッフも2人増えて5年間サロン運営していました。でも、あと5年続けたいかと思ったら、違った。そう思って偶然にも直感的に違う場所でお店を始めて、さらにまた移転して今が3店舗目です。すべてのお店は散歩している最中に、偶然見つけた物件たちでした。

Elisa 3店舗目もたまたま歩いていて見つけたんですね!笑
さきほどスタッフさんに「どうしてこのサロンで働くことにしたんですか?」って聞いたら、偶然見つけて直感的に決めたと言っていました。みなさんきっと何かに引き寄せられているんですね。

Takamichi そうなのかもしれない。勤務年数はみんな長いし、きっと自然にそういうバイブスの合う人たちが集まってきているんだと思う。

Elisa スタッフが長く続く秘訣って何かあるんですか?

Takamichi チームにすること、きちんと人間的に扱うこと、居心地良いようにすることかな。アシスタントから育てることでチームにしようと決めたんだ。夏は毎年アップステートに家借りて旅行するし、みんな仲が良いよ。

――私は去年NYに引っ越した。私の知っているNYは物価も家賃も、それはもう高くて。お金がないと生活が苦しいけど、治安はいい街。約30年前、私が生まれた年にNYに来たTakamichiさん。当時のNYはいまのNYとは比べものにならなかったんだろう。

Takamichi はじめて来たときは発展途上国に来たのかと思った。東京が経済のピークのとき、NYに来て驚愕しました。街は汚いし治安がとにかく悪い。

Elisa チェルシー(ニューヨーク市マンハッタン区の南西部)は高級住宅街じゃないですか!

Takamichi 当時はそんなことなかった。みんな道でドラッグやっていて、怖くて夕方には歩けなかった。いまでは想像もできないと思う。

Elisa いまのNYと当時のNYはどちらが好きですか。

Takamichi 自分の年齢も違うし比べるのは難しいけど、昔の方が確実に面白かったなあ。当時は毎日何が起こるかわからなくて、それがすごく面白かった。一歩動いたらすごい仕事がもらえたり、チャンスがすごく多かったんだよね。ぼくがビジネスを立ち上げたときも全てが安かったからなんでもチャレンジできたし、今は何でも高くて、お金がないと何もできない街になっちゃった。100ドルなんてあったら当時はなんでも出来た。いまは2回くらい外食したらもうなくなっちゃうもんね。

Elisa 日本人オーナーとして、日本人以外の美容師と働くことでなにか苦労はありますか?

Takamichi 日本人とか日本人じゃないとかは僕には関係ないかなあ。

Elisa では、エリアでお客さんの層は違いますか。

Takamichi 昔はそういう違いがあったけど、今はボーダーがないですね。この10年くらいで街自体が変わって、ボーダレスになった。昔はダウンタウンに住んでる人はダウンタウンの中でしか生活していなかった。

Elisa お話を伺っていると、いつもその時の流れに身を任せているように感じるのですが、いまの目標や今後の展望はありますか?

Takamichi 今度またお店を開きます。次は美容室じゃなくてビューティープロダクトやキャンドルとか、いろいろなグッズを置くお店。今取り組んでいることはそれかな、お店に是非遊びに来てくださいね。

直感を信じることと、自分が好きかもしれないことや得意かもしれないことを自分で決めつけないこと。ときには大きな流れに身を任せてみたり、そのときは分からなくても、いつかどこかでやってきたことはきっと自分の身になること。それは、私もこれまで信じてきたことと同じだった。

Takamichi Hair
https://www.takamichihair.com/
https://takamichibeautyroom.com/

写真・執筆 : ベイカー恵利沙
編集 : ミネシンゴ

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